選択の自由とは
 
 この業界にいる人間はどうやら2タイプの人間に分かれるようで、プライベートでもゲームやパソコンが大好きで毎晩ネットゲームで戦い、休日になると自作PCを何台も作り、新しい情報家電が出るとつい買ってしまうと言うタイプと、逆に仕事がデジタルなせいで一日12時間以上パソコンに向かう生活をしている反動からなのか、日常使うものの大半がアナログでゲームどころかテレビまでも仕事の延長のようで、休日にはさわらないタイプに分かれていくようだ。
 私は後者に属する人間だが、これまでその理由はよく言われているように仕事の反動だと思っていた。しかし最近はまっている写真の撮り方や昔乗っていた車の好みなどを振り返ってみると、どうやら単純な仕事の反動と言う訳では無いらしい。
 たとえばカメラでは最初35mmのレンジファインダーカメラから入ったのが、だんだんフォーマットが大きくなるにつれ、操作の方法は逆にますますマニュアル化が進み、いまでは4×5のビューカメラで撮るのが楽しみになっている。使ったことがある人は分かるだろうが、こうした大型カメラは操作自体はほとんど全て手動で操作するもので自動化されているところは皆無と言っていいものだが、逆に操作自体はシンプルで意味が分かれば誰でも操作できるものだし、その全ての行程で自分の意図が反映できるのは快感と言っていいだろう。たまにはうまくいかないときもあるが、それも全ての原因が思い当たるものであった。
 対してパソコンの操作はどうであろうか、多くの人に経験があるようにパソコンのトラブルの中にはある日突然発生し最後まで原因の分からない不可解なものがある。その多くは操作ミスや知識不足から来る者かも知れないが、ドライバーの相性などどう考えても納得のいかないものも少なくはない。
 車の場合でも、昔乗っていた当時10年くらいたっていたカリーナなどはステアリング以外はほとんど全てが手動であったがトラブルは皆無で、おまけにマニュアルだったおかげで免許取り立ての無茶な運転であっても、ここぞと言うときはエンストしてくれたおかげで、幸い大事に至らなかったことが何度もあった。これがオートマだったらきっと今頃私はこの世にはいなかったに違いない。
 
 こうして考えると、どうやら自分が好きなのは全てが自分に見えて、機械が勝手に操作しないシステムが好きらしい。たしかにそう考えるとPCでもLinuxの操作や設定は苦にならないし、逆にフィルムを使っていてもオートマチックのカメラは全く使う気にならないのも頷ける。ファーストフードなどでどこでどうやって作っているのか分からない食べ物は嫌いだし。未だにまがりなりにも自炊は続いている訳だ。
 
 しかし、今後様々なものが自動化し大量生産されている中でこうした好みはどこまで守れるだろうか。しかも自分の仕事はこうしたブラックボックス化の極北のコンピューター業界なのである。


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